それは大きな穴

masahikomifune22017-10-16

皆さんご存知の通り、日本国内のロードレースを支えてきたと言っても過言ではない高木秀彰カメラマンが先週ご自宅で亡くなられているのが発見されました。
先週から消息が分からなくなり、多くの人から高木さんと仲が良かったということで「何か知らないですか?」と連絡が頻繁に入るようになりました。
シクロワイアードの綾野編集長と意見を共有しながら捜索していましたが足取りがつかめず。
ご自宅に戻られていないと解釈していたのですが、土曜日の朝になって実はクルマが駐車場にあるということが判明。警察の方が中に立ち入るということで気分転換がてら自転車でフラフラと走っていましたが大急ぎで高木さんのご自宅へ向かいました。
そして望まない結果を目の当たりにすることになりました。
今後高木さんの築かれてきたものをどうするのか。これは日本の自転車競技界にとっても大きな損失だと思います。


高木さんがこの世界に入るきっかけをお手伝いすることになったのは、もう10年以上前。
それまでにも何度かレース会場で写真を撮影していただいたりしていて、個人的にもよく話をするようになり・・・
だったらメディア関係者をご紹介しますよ、と。
その後は私の主催する実業団チームのメンバーでもあり、監督をさせていただいていた時は高木さんはカメラマンとして一緒にレース会場へ。
多いときは半日一緒にドライブしたり、ホテルの部屋でいろいろなことを語り合いました。
レースのこと、プライベートのこと、これからの夢・・・ときにはお互い毒々しい会話をしたり、お互いの考えを批判したり・・・
香港のレースではWi-Fiが弱いと言って、シンセンの高層ホテルの上層部からメール受信の画面にして、受信開始と同時に片手でノートパソコンを窓の外に突き出し、「落としたらどうしよう・・・」なんて言いながら1時間以上トライしたり・・・
最後に話をしたのは愛媛国体ロードレースの直後。私が愛媛県のコーチをしていたので、そのことで簡単なインタビュー。と言ってもほとんど雑談のような。
私の自宅にも月に1〜2回は遊びに来ていましたが、そんな当たり前のことも今後はないと思うと心に大きな穴が開いていることを感じます。
それはきっと多くの人たちが同じように感じていることだと思います。
それだけこの10年ほどの間に、日本のレース界では高木さんの存在がなくてはならない、そして多くの人に慕われていたということだと思います。


私が多くの人に注目してもらえたのも、高木さんがたくさん写真を撮影してくれて、高木さんというフィルターを通じて実在以上に良い印象を作り上げてくれたおかげです。
今の私に恩返しということなどできる力もなく・・・ただいつまでも風化せぬようにずっと高木さんの写真や話題をネタにしていきたいですね。
いつも私の関西ツッコミに失笑、今でも運転しながら失笑する高木さんの顔が浮かびます。


心の底から高木さんの話題を笑ってできるには時間がかかりそうですが、まずは高木さん、本当にありがとう。本当にすべてをさらけ出せる少ない友達でした。
しばらく忙しすぎだったみたいだし、ゆっくりと夜は寝てください。いや、星を見るからやっぱり夜は起きているかな・・・
高木さん、安らかに
オレは立ち止まれません、まだまだ進みますのでそちらで見ていてください。




パソコンをいくら検索しても高木さんの写真が出てこない。そりゃそうだ。お互いの関係は撮る側撮られる側がはっきりしていて、意外なほどに高木さんの写真を撮った記憶がない。
唯一あるもの、それはなんと長男が今から10年以上前、まだ幼稚園年長だったときに一緒に修善寺のレース会場へ連れていき、高木さんが使っていないカメラを長男に使わせてくれて撮影したもの。



さんざん家で高木さんをみている長男なのに、今でも高木さんの話をするのはカメラを貸してくれたオジサン。