シクロクロスシーズンに向けて

masahikomifune22014-05-29

今日は暑かった〜〜
京都は最高気温31℃って言っていたけれど、もう真夏並みやん(-_-;)
午前中に車の定期点検へ。そして午後から軽く走りに行ったけれど、暑くて脚も重かった。
これだけ暑いと先のことなんか何も考えられない!と言いたいけれど、今日は晩から来るべきシクロクロスシーズンのことについて、関西シクロクロスのオルガナイザーである矢野淳さんと一緒にミーティングしてきました。


実は来るべきシーズン、関西シクロクロスは20周年。
そりゃ矢野さんが年とった〜って連呼してるけど、オレも年とったよ(笑)
はじめて走ったの時は確か25歳だったかな。
俺もほぼ最初からお世話になっているし携わらせていただいている。
関西シクロクロスの記念すべき登録コード"KNS0001"は実は俺って意外とみんな知らない事実。


矢野さんは俺が競技を始めたころ、京都立命館大学自転車部で関西学連を代表する選手。
京都府の練習会などで一緒することがあってもあまりのレベルの違いに、本当にきつかったのを記憶している。
特にヒルクライムでタフなコースではすごく強くって、登りだと一瞬でちぎられていた。
でも実はレースで一度だけ矢野さんに勝ったレースが存在する。高校1年の時の美山ロードの前身となる京都府民ロード(京北町:現京都市右京区)で、矢野さんともう一人実業団選手と逃げに出て、最終回の登りでアタックをかけたらカウンターで仕掛けられてあっけなく2人にちぎられた。
登りの頂上で約数秒遅れ、テクニカルな下りで攻められず・・・と思っていたら2人は下りで曲がりきれず転落(*_*)
そのまま独走で勝利することになった。
たなぼたにもほどがあるレースだったね(笑)


2000年の全日本選手権シクロクロス直前のUCIレースだった野洲川で優勝したとき、長野から来られていた実況の人に上位陣がほぼすべて関西勢で長野勢が惨敗だったにもかかわらず
「強くなりたかったら長野に来い!!」
と何度もコメントされ、悔しい気持ちだった。
そして全日本選手権で優勝した時、表彰台での一言で
「強くなりたかったら関西に来い」
と皮肉を込めてコメントしたら、長野関係者を中心に一瞬で凍りついた。
が、隅の方で小さく拍手していた矢野さんを見たとき、心の中で仇を取った気分だった。


俺にできることなんて知れているけど、少しでも矢野さんたちの応援ができるなら、できる範囲で頑張りたいなと。
そしてこれからも矢野さんを中心に発展していく関西シクロクロスを応援しています。


さぁ20周年という節目、ちょっとサプライズ企画に向けて俺もお手伝いさせていただきますので、今後ともよろしく!!



高校1年の3月に開催された京都府府民ロード
京都府京北町で開催された。
真ん中の青いジャージが俺で、後ろの白に青い胴抜きジャージが矢野さん。
このあと一緒に逃げて落車されたため「たなぼた」で勝利



2000年のオランダで開催されたシクロクロス世界選手権で





マイアミでのレースにて
背中を向けているのは野辺山シクロクロスのオルガナイザー矢野大介氏