監督らをチェックすると

ヨーロッパでの活動を2002年に終え、その時に一緒に走っていた選手たちもほとんどが引退しちゃった。
あの時代、一緒に入っていたのは有名なところではプロ1年目だったトム・ボーネン
他には当時若手だったシルヴァン・シャバネルやトマ・ボクレー、チームメートで一緒だった現ロットベリソルのベテラン、ユルゲン・ファンデワール。
ほとんどの選手は引退し、第二の人生を歩んでいる。
まったく自転車界に絡んでいない選手もいれば、チームスタッフとして相変わらずレース界で頑張っているものもいる。
今回のパリ〜ルーベ、面白かったのは当時選手として走っていた連中がハンドルを握って指揮を執っていたことだろう。


88年のパリ〜ルーベを制したディルク・デモル。
レディオシャックの監督として指揮を執っていた。
彼はその後ベルギーを中心に活動していたパルマンスというチームで現役を引退し、更にアマチュアチーム(ボーネンらを輩出した名門チームで、橋川君もこのチームで活動していた)のキャプテンとして活動して自転車を降りた。
たまたま家が近所ということと外人に対しても非常に気さくだったことで、レース会場やプライベートでトレーニング中でもよく声をかけてくれたりしてくれ、本当に好きな選手であり好きな人だった。
パリ〜ルーベも「たまたま」優勝してしまった感があるのだが(長距離を2人で逃げ切り、確か一緒に逃げたトーマス・ウェグミュラーは最後にメカトラか何かでスプリント出来ず、あっけなく勝負が決した)、当時の映像を見ていても神がかっていたのを覚えている。


選手時代、なんだかわからないが微妙に喋る機会の多かったセルヴァス・クナーフェン。
チームスカイで指揮を執っていた。
2001年のパリ〜ルーベ優勝、この10年で一番泥だらけのレースを制した。
タイムトライアル能力に優れ、アマチュア時代に同じ地域に住んでいたのでレースが何度も被ったが、オリンピック代表のナショナルチームだった彼は地元のスターで何度もコテンパンにやられた。
同じ年にプロになったということ、そして共通の友達だったスティーブン・デヨングを通じてよくレース会場で会話するようになった。
どこで覚えたのか変な日本語を披露してくれたりしたなぁ(笑)


ニコ・フェルホーフェン(ブランコ監督:当時パルマンス)
ウィルフレッド・ペータース(オメガファルマ・クイックステップ監督:当時マペイ)
ゲールト・ファン・ボント(ガーミン監督:当時ファルムフリッツ)
ロレンツオ・ラパージュ(グリーンエッジ:当時ASFRA)
ラルス・ミカエルセン(サクソバンク:当時TVM)
エディ・セニュー(IAM監督:当時GAN)
他にもパリ〜ルーベを制したマルク・マディオはじめボンテンピやバルダートなどなど、名だたる選手たちが名を連ねていた。


どこのチームも監督を2〜3名擁している中で彼がハンドルを握っていたということは、やはりこの特殊なレースで指揮を執るには、それなりの経験が必要だし、このレースでのスペシャリストとしての能力を必要とするということだろう。