ハンディがあろうとなかろうと

600?を全開で走行すると全壊し、しばらく出涸らしです。
が、今回はブルベの後に松本へ移動し雑誌撮影のお仕事(顔がむくんでいたりやる気なさそうな雰囲気が写っていたらごめんなさい)、そしてそのままライディングスクールにいつも東京から来てくださるお客さんと一緒に琵琶湖一周・・・
出涸らしは出涸らしなんだけど、今回は
ブルベでほとんど先頭だったが、最後まで複数人でゴールしたため休んだり集中して走れた
琵琶湖一周ではほぼすべてを生徒に任せて後方待機(いわゆる付き位置)
実は琵琶湖一周で初めて50%以下の先頭だったかもしれない
アキレス腱の調子は一進一退
正直やっちゃった〜〜って気分だけど、なったもんはしょうがない。
受け入れて前に進むしかない
過去にもそれなりのハンディは背負って進んできたつもりだし・・・


92年だったかにマウンテンバイクレースのダウンヒルパートでスリップし、落っこちたところに木の切り株があり、そのまま左ひざから落ちてぱっくりと・・・骨が見え、観客に担がれながら下ったところに会った救急病院へ
傷口がドロドロだったので1時間ほどブラッシングされ止血の手術
傷口は開いたまま家まで車で移動し(3時間)麻酔が切れてからうなりながら朝を迎え、朝いちばんに車で京都市内へ移動し手術・・・
合計10針を縫い、この傷で体のバランスは完全におかしくなった
が、バランスを取り戻すことはあきらめ、体の芯がずれていても、とにかく速かったらええやん!とバランスは無視で漕ぎまくった。


94年のレース中、猛暑で補給を取らないと完走すらできないベルギーでのレースだったが、手ではじいてしまい、まだ浮いているボトルを取ろうとしたら段差でバランスを崩し右手を前輪の中へ
一瞬で血まみれ
中指は今にも落ちそうになり、ヤバい!とすぐに口の中へ
救急車に乗せられたときはウェアーもだが口のまわりが血でベッタリと
見ていた妻が半狂乱していたのは記憶にあるが、オレの方はすでに意識がなかった(あったかもしれないが、血を見てから以降全く覚えていない)
中指の靭帯は切れ、救急隊員が焦っていがんで縫合したのでかかりつけの医者に再縫合(麻酔が一番痛かった・・・)
おまけに痛み止めを飲んだら胃が驚くほど痛く、夜中に泣いてしまい、胃の痛み止めを飲んだが、実はこのとき生まれて初めてそれが胃だと気付いた・・・
それまで胃がどこになるのか知らず、おまけに胃痛になったのもこれが初めてだった・・・

2002年のステージレース
ジロの最終メンバー12人にセレクションされていて築けない成績に焦り、しなくてもいいスプリントに中途半端に絡んだせいで、前でチームファクタのスウェーデンチャンピオンとフラーンデレンで走るファンデワール(現ロット)の落車に突っ込み顔面着地
あまりの腕に痛さに鎖骨を触っても折れている形跡はない

しかし腕はピクリともせず、800メートルに13分かかってゴール
レントゲンの結果、肩甲骨骨折、見事に欠けていた・・・
医者曰く
鎖骨強すぎて肩甲骨が折れた

そして肩甲骨から復帰後の練習中、自転車道に車が勢いよく突っ込んできて車を飛び越え一回転して着地、右ひざがぱっくりと開き、一瞬にして回りは血の海・・・
バカンス時期で医者が捕まらず、ようやく辿り着いた時には意識朦朧、有無を言う間もなく麻酔を打たれて縫合された・・・


まだまだ限りなくあるのだが、こんな感じで怪我しまくり
だが悔しいのだがその都度1週間もすれば走れてしまっている
(肩甲骨の時は監督から禁止令。フランドルは外され、3週間半後のヘント〜ウェヴェルヘムから復帰した)
今回も違和感がまだまだ取れそうにないが、テーピングと脹脛の動きを抑制すれば痛みが軽減されるのがわかった。
これで体力低下も最低限でクリアーできそうだ
あと3週間、どうなるのだろうか・・・


BRM723のハートレートデータ

24時間もの長時間走る際に気を付けないといけないのは、いかにZONE1〜3でクリアーしていけるかということ
治部坂峠途中で無駄なインターバル、そして和田峠まではちょっと無駄にペースを上げてしまった・・・
折り返してからはもう体力も細々ということでHR低め
ここで前半の消耗が影響している
うまく走ればあと数時間はあと5〜10%はHR高め(スピードも高め)を維持できたのではないだろうか
今後国内ブルベを走る際は今ほどタイムに縛られることはないと思うので、一度データ取り優先な走りをしてみたいと思っている