扉の向こう

masahikomifune22010-05-14

昨日のジロでは新城くんが魅せてくれまたね。
ホントに大興奮したし、皆さんも同じ思いだったんじゃないですか??


昨晩にパソコンでテキストライブを確認しながらの仕事。
なんとなく総合に関係ない、チームタイムトライアル明けということで「もしや??」って気持ちがふだんレースの動向をあまり気にせず仕事を進める俺なんだけど妙に気になって痛んだね。
そしてラスト20km、もしや??って気持ちが自分の中で大きくなってきたので仕事の手を止めてテレビへ。
区間賞は得られなかったれけど、最後は力強い走りでまだ開けられていなかった扉がまた1枚開けられた瞬間だった。
自分も彼ら以前の、こんなテレビやインターネットのなかった時代にヨーロッパに渡って選手として走り、何枚も扉を開けてきたと思うけれど、開けていった瞬間には「必ず扉を開く、自分ならできる」と信じてやってきたものの、実際成し遂げた瞬間には武者震いがしたり、翌朝に自分の開けた扉が凄まじく大きなことだったことを実感したものだ。
俺の場合はグランツールには縁がなかったし、どちらかというとワンデーばかりだったから地味だったけどね。


突然大きな扉が開けられるわけじゃない。
俺が高校のときに三浦恭資さんやマトリックス監督だった安原昌弘さんがオランダのステージレースで日本人じゃできなかったことを果たし、市川さんがステージレースで日本人の可能性を見せたことで、俺もできる!と信じてひたすら進んでいった。
もちろん彼ら先輩諸氏は俺にとってはるか雲の上の存在だったんだけど、彼らが扉を開けて進んだことで、彼らの開けた扉は不思議と自分には開けられると思っていたし、事実開けられたと思う。
多分俺にもその後何度も、いや確実に何度も大きく重い扉が立ちはだかった。
けれど開けられないと思うことはなかった。
1枚、また1枚、どんなに時間がかかろうと気合いで俺も開け進んでいった。


俺は夢半ばでヨーロッパから日本に戻り、もうその重い扉を開ける生活を終えてしまったけれど、自分が走っていたときにまだキッズだった連中が今こうやって扉を開けていってくれることに誇りを感じるし、時にはきっと自分ができただろうことを彼らが開け続けることに嫉妬すら感じることもある。


俺は2002年にジロ出場の可能性があったけれど骨折ですべてを棒に振ってしまった。
しかし他の多くのレースで入賞に絡んでいたし、ステージレースでも完走することに難しさを感じてはいなかったから出場しても完走できないとか思わなかった。
どこかの区間できっと賞金を持ち帰ることができないなんて思ったこともなかった。
去年のツールで新城くんが活躍したとき、正直なところ活躍ができないなんて思わなかったし驚きもなかった。
それはその場に立つということは、できる可能性があるからこそ選ばれるのであって、可能性がないやつは選ばれないから。


しかし今回のジロは、自分の想像もはるかに超えた新城くんの走りには感動したね。
きっと本人は開けられる扉を開けたに過ぎないし、既に次の扉のノブに手をかけている。
ラスト1キロ手前、集団との差を計ったあと、ピノーが先頭を引き終えた後がアタックするチャンスだと踏んでいたけど、そこで一気に勝負に出た新城くんはちゃんと勝負が見えていたし、そこで動くということはこのレースで確実に勝ちを見据えて走っていたはず。
もし俺が選手だったら同じところで勝負した。
そして逃げていた選手にとって最終コーナーで集団の勢いがなくなってくれたことが非常によかった。計算ずくだったかな??


まぐれで勝つことに意味はない。
勝つべきして勝つということが重要で、そして一番難しい。
だからこそどのチームも主導権を握ってアシストを消耗させてまでも、エースでの勝ちにこだわる。
着いていって最後だけの勝利などは評価に値しない。
俺もそういわれて、チームのエースの勝利を前提に仕事してきた。
だからこそスプリンターチームはアシストがきっちりと仕事をするし、チポリーニがラスト200メートルしか先頭に出なくても「あいつは引かないから勝利の価値がない」なんて誰も言わない。
考えたらチポリーニが200勝したけど、先頭を200メートルとしたら通算40kmしか先頭を走っていない。
ジャッキー・デュランなんか勝つときは1レース平均200km近く逃げているのに・・・それでも何度捕まったことか。


まだまだ序盤を終えたばかりのジロ。
俺も解説をしますし、新城くんの活躍に期待というか遭遇できるかな??
もしや次の扉も・・・

99年ベルギーで行われたレース、超絶好調で序盤から逃げ続けて中盤以降合流したミュセウやエークホウトに武者ぶるい
多くのパートを不利と知りながらも真っ向勝負を挑んで、最後は力尽きて4位だったけれど、このレース以降ミュセウからも挨拶してくれる仲となった。
多分レースはたいしたことのないものだったけれど、初めて「大きな扉」を明けた瞬間だったかもしれない


後ろを走るのはホステ。
まだこの頃はアマチュアで期待されながらもプロでは全然で、まだまだ若造!って感じだった


2003年にベルギーチャンピオンになったヘールト・オムロープと。
2001年以降、ほんとに彼と一緒にゴールするレースが多く、今思うと相当意識されていたのかも。
俺も意識していたけど。
プロで最後のレースになったプッテ・カペーレンで勝利されてしまい、超悔しかったな〜
俺は4位だった


始めて新城くんと一緒に走ったのが今は開催されていない神戸クリテリウム
俺は勝負どころで新保(愛三)が逃げたところで他力に走ってしまいチャンスを失って2位。
そのときに元気だったBSの小僧だった新城が4位だった。