ベルギー

昨日のヤビツ峠から帰宅し、現在は福岡に来ています。
明日は南米商会さんでのイベント、明後日はサイクルショップそのださんと、豚骨ラーメン食えっ!って言われているようです。
今日はウォーミングアップ、長浜ラーメン、替玉1つでした。
打ち合わせという名の夕食は、宇○川営業マンの熱い要望で
サバ
ヤバイ旨さでした・・・って宇田○くん、サバしか食ってないし・・・ホント○田川くん、サバ食いながら営業トーク、かなり光っていましたよサバ並みに・・・


週末は北ヨーロッパでの開幕戦「オムロープ・ヘットニュースブラット」(旧ヘットフォルク)、そしてクールネ〜ブリュッセル〜クールネ」がベルギーでおこわれる。
どちらもタフで厳しいクラッシックレース。
2002年にはクールネではゲドン、クリブツォフらと結構長く逃げていたのでテレビに写っていたなぁ・・・懐かしい。
この時期になると体の節々が調子悪い。
というか、体のあちこちから染み出るように「ベルギー病」が発生するのだ。
そりゃ10年も選手として生活していたし、それこそニュースブラット新聞を朝の焼きたてのパンと一緒に買いに行き、ササッとスポーツ欄、というかサイクリングニュース掲載しているページをチェックし(そう、ベルギーでは自転車ネタは1ページ以上あるのだ)練習に出かけたものだ。
そりゃウズウズというか、全身が勝手に反応しても仕方なかろう・・・
やっぱヘットフォルクが俺のシーズンイン、気合い入れるところだったし・・・
最近なぜかその「ベルギー」というキーワードが続いている。
シーズンを前に、急にランドバウクレジット時代の監督、ジェラール・ビューレンスに連絡を取った。
現役時代に監督を連絡取りたくてもままならず、何回もイラッときたものだが、いざ自分が監督をするとジェラールの苦しみがわかりだす。俺も若かったね・・・
彼からのメールには
「ベルギーに来ることがあったり、何か困ったり助けてほしいことがあったら連絡しておいで。携帯電話番号、メールアドレスはずっと一緒だから」
何度か書いたこともあるかも知れないけれど、2002年シーズンを好調で終えようとしていた俺は、チームと2年延長契約をすることに監督との間で合意していた。
けれどEUの雇用問題等の影響でEU外の選手が多く契約を失う状況になったとき、監督はその状況をすばやく伝えてくれず、結局最終レースを終えてオフシーズンで日本に帰国したときに伝えてきた。
何もアクションできない俺は半ば興奮状態で、ジェラールとの電話もまるで喧嘩を吹っかけるような口調になってしまい、売り言葉に買い言葉、結局その時点で俺の契約は打開策を探る方向から一転、一瞬で契約を失った。
多分監督は何とか継続できる方向で動こうというメールの内容だったし、だからこそダラダラと国際電話に付き合ってくれたんだと思う。
けれど俺の口調でお互いに大きな溝を作ってしまったのは事実だった。
でもその後、いろいろな人に迷惑をかけてきながらも今に至り、なんとなく自分を振り返って成長できたし、だからこそ監督に連絡をしておきたいと思ったのだ。

その監督に俺も引退の報告をきちんとしておきたかったし、そのことでまさか監督からメールが返ってくることなんて考えもしなかった。
なんとかベルギーでの仕事を絡めて会いに行きたいな、ベルギーではいろいろと辛いことはあったけれど、嫌な思い出は時間が経つにつれて薄まっていく。
もう40歳だからね、嫌だったことはあったけれど、忘れたわ・・・


そしてベルギーで家族ともどもお世話になっていた方が俺の最終レース、関西シクロクロス由良川の日に亡くなられた。
人生の先輩として多くの苦難を乗り越え、いろいろなことを教えてくれた。
ヨーロッパは基本的に平等なんて考えはない(と思う)。
それはフォーミュラーカーのレギュレーション変更、そしてUCIの今のルール改正を見ればわかると思う。
でも彼は俺たち「黄色い人たち」になんの偏見もなかった。
多分彼のおかげで俺は心底ベルギーが嫌いになれないのだと思う。  
俺以上にお世話になり、そして自分の両親のように慕っていた去年までのチームメート橋川が、今年より拠点をベルギーへ「戻す」
俺にとってベルギーとは人生の通過点、あくまで職場的感覚なんだけど、橋川には第二の故郷でもあるだろうし、きっとベルギーのほうが彼の性にあっているんだろう。
活動する方向は違えど、同じ時代に戦ったライバル、そしてチームメートとして応援したいと思う。

そんななんだか「ベルギー」な日々が続いているが、ツールデフランドル、今年は解説をさせていただきます。
去年はその地にいたからね。
そしてパリ〜ルーベも解説に。
あ〜、なんか気合い入ってきたわ!!
ありがとうジェラール!!
ありがとうベルギー!!