全日本選手権ロード

全日本選手権から帰宅しました。
応援してくださった方、本当にありがとうございました。
俺こんなに人気者だったのか???
もしかしたらご贔屓の選手が通過後で応援してくれたとか、もしくはご贔屓選手がお仕事終了して、とりあえず応援してくれたとか・・・かもしれないけれど、それでも嬉しいものは嬉しい。気持ちよかったです。
14位。
良いとも取れるし悪いとも取れる。
でもその数字が俺の最後の全日本選手権での数字。
スタート前から、基本は橋川で勝負、もし集団での勝負になったら俺で、ってチームの作戦。
そのため基本的に集団待機ということで逃げグループに追いついたときも見送った。
けれど集団が完全にスローダウンしたので、一か八かで前を追うべく動いた。
その後しばらくして新城くんと合流し前を追ったけれど強かったね。
一緒に抜け出した松村、そしてしばらくして合流した大塚君ら、みんな一瞬で終わりだもん。
俺もなんとか先頭交代していったけれど1周ほどして登りで力尽きた。
しばらく独走した後、集団に吸収されたんだけど、毎周回登りで少し離れていてきつかった。
多分最後の全日本選手権、そしてたくさんの応援がなかったら間違いなくやめていたね。
うん、絶対やめていた。
やめていたって言い切る「はらたいら」さんに全部賭けてもいい!
監督からの指令で最後は「スプリント」って言われていたけれど、集団でゴールに辿り着けるのか不安だった。
単独のときに一度足が痙攣していたからね。なんとか誤魔化しながらゴールまで辿り着いた。
スプリントのときはスピードに全然のらなかった。
かなり独走していたし、ここ広島のコースはスピードに乗りにくいから最初に仕掛けるのは難しい。
ちょっと距離が、と思ったけれど、埋もれて後悔するぐらいなら全力で仕掛けて失速して指される方が潔いしね。しかし伸びなかったな・・・

これで最後の全本が終わった。
一応シーズン前半、ケジメがついたかな。
やることはやった。後悔がないかって言うと勝てなかったレースすべて後悔、でもやることはやった。
ゴール後、すごく泣けてきた。
泣くぐらいならもっと頑張れよ、って自分に言い聞かせるけど多分それだけじゃないんだよね。
はじめて全日本選手権ロードに出たのはまだ高校生のとき(当時はエリートもアンダーもジュニアもなかった)確か86年、三浦(恭資:現ナショナルチーム監督)さんが優勝した年。
実業団の若い選手やトラック系の中堅どころと一緒に半分ぐらいでリタイヤしたなぁ〜〜
あれからもう20年以上も全日本選手権を走っている。もうその全日本も走ることはないのか〜って考えると、急に涙がね・・・

全日本ロード、そして全日本プロ選手権ロード(プロアマ統一以前)と勝ちには恵まれなかった。
最高で全日本プロ選手権5位だったか。あとは全日本選手権ロードで89年に6位、2000年に7位。
やっぱり自転車選手にとって全日本選手権は別格。
そこへ向けての調整、プレッシャー、時には辛くて逃げたいときもあったけれど、ホント今回はそれが良い意味で楽しめた。
俺は多分キャラ的にも記録に残る選手じゃない。でもその分たくさんに人の記憶に残れたらいいかな。
でもちょっとは記録に残りたいので、あと180日ほどの間に勝ちを重ねておきたいね。

まずは3日間ぐらいはバイク掃除はするけど乗らないかも。
でもその分徹底的に掃除しますよぉ〜〜