あと週末も2回

スキルシマノの廣瀬君と畑中君と一緒にトレーニング。
2時間ほどオランダとベルギーの国境付近を走り、マーストリヒト経由で走ってきた。
アムステルゴールドレースのスタート地点の広場はすごくきれいで、人工的な広場の多いオランダには珍しい、歴史の感じる広場だった。
2002年のGPエリック・ブルーキンク。3日間のステージレースでジロのメンバーを決めるのには大事なレースのひとつだった。
24人ほどのメンバーの中で15人のセレクトされた中には入っていた。
でももう一押しがないと強いメンバーばかりだったので選ばれないのは目に見えていたし(02年3月時点で現在のプロコンチネンタル、当時のディビジョン2で世界ランキング1〜3位に位置する強豪チームだった)ここで…と攻め過ぎてゴールスプリントで前の選手の落車を避けることもできず顔面と肩から落車して、マーストリヒト郊外の病院に担ぎ込まれた。
左腕は全く動かず、レントゲン撮影したあとに先生はまだかぁ〜と思っていたら、隣の診察室に半狂乱の女性がわめき散らして入ってきた。
どうもこの町で交通事故が発生し、担ぎ込まれた男性が生きるか死ぬかの状態。その奥さんか彼女だったみたいだけど、完全に気がいかれていた。
即手術が始まったが、俺のほうは当直の医者が少ないために放置。
足首は骨が見えているし、肩の痛みでベッドに寝ているのも苦痛。
1時間半ほどで隣から急に声が聞こえなくなり、しばらくして俺のところに医者がきた。
今思えば隣の患者はどうなったんだろう。医者が来るまで俺もほとんど失神寸前だったので隣のことを考える余裕はなかった。
診断の結果、肩甲骨骨折。全治4週間。
E-3もデパンヌも、フランドルも消え、そしてジロの選考レースからも消えた。
その結果を電話で妻に報告するとき、不覚にも泣いてしまった…
その日はチームの滞在するホテルに戻り、痛みと悔しさで寝れなかった…
あれはこのキレイなマーストリヒトの町の近くで起こった出来事だったなぁ…と、練習中にふと思い出した。

スキルシマノの滞在先をあとにし、オランダへ。
オランダ在住でシクロクロス世界選手権日本代表の荻島さん、そして旦那さんのシャーク(彼とは20年以上の知り合いだ)のところへ。
久しぶりに日本食を堪能させていただいた。

晩にはマルコポーロ時代、仲のよかったアノ・ペデルセンの家に泊まっていて2泊滞在。
Arnhem郊外の閑静な住宅地で、こんなところに住みたいなって思えるところだ。