伊豆2日目

masahikomifune22006-03-27

昨日は修善寺から一般道を通って帰宅。およそ10時間ほど。いやぁ〜〜疲れました。浜松まではノンストップで、浜松で鰻を食し、そしてそのままノンストップで大阪へ。給油も結局せず、多分リッターあたり17kmぐらいかな。
俺の場合、きついことをしていると言っても別に人に指図されているわけじゃなく、たいがいのことは自分でやっていることだし、仕方ない。
チームを立ち上げたことでも雑用は増えたけど、別にしなきゃいけない義務はない。自分でしたいからしただけのこと。やっているうちにどんどん自分で仕事を増やしているんだから。
ただ思っているのは、俺がここまで来るまでの間に、多くの人に世話になってきたはずだ。それは今から少しずつこの世界で恩返ししていくのが筋だと思っている。たとえ引退してまったくこの世界から身を引いたとしても、やはり筋はとおしておきたい。次は若い次の世代がその恩恵を受け継いでいく。そうすることで次の世代が育つというものだ。俺で終わっちゃいけない。

スタート前、声をかけてくれた人が。
「お〜〜〜〜っ!懐かしい!」
高校時代、違う学校だが一緒に競技をしていた選手だった。確か3年のときにインターハイで優勝していたはずだ。
当時はそこの顧問の先生が異常に厳しく、会話をすることはほとんどなかった。レースどころか練習で千切れても顔面キックみたいな先生で、叩かれた、じゃなくど突かれた、キックされたみたいな話が普通にある先生だったし、俺もその先生に怒られたことがあった。
そんな顧問のいる自転車部だったからか、生徒には個性をあまり感じず、誰もが同じように見えていたのも事実。その点俺のいた花園高校は顧問は適当ペースで(よく言えば放任主義)異常なほどの個性的な生徒ばかりだった(はずだ)。
高校3年のときに国体ポイント少年優勝し、成年では競輪で優勝した中田将次、そして02年マウンテンバイク全日本選手権でマスター優勝した久保伸次などは同級生だ。後輩では競輪選手の山本真矢、そして後輩繋がりでは村上義弘など、とにかく個性派な生徒ばっかが続いている。

久しぶりに会ったその彼は、本当に楽しそうで、再び自転車の楽しみに取り憑かれたようだった。またの再開を誓い別れた。

今日の写真も、再び子供の撮影。俺の趣味のものを買うよりも、子供にカメラを買う方がいいような気がしてきた・・・