LEL2017 Vol.1 いよいよスタート 15kmすぎ、いきなり最大のドラマ

masahikomifune22017-08-10



7月30日夜半。
一体いま何時だろう、バケツをひっくり返したような土砂降りの音に目が覚めた。
まさかこの雨の中、1,400?先を目指して走るのか?それは酷すぎる。スタートまでにまだまだ時間があって欲しい、スタートのときにはやんでいてほしい・・・
そう思い時計に目をやると3時。少しほっとした。7時半のスタートまでにはまだ時間がある。大丈夫だろうきっと・・・もう少しだけ目を閉じて、あと1時間だけ・・・

このいきなりの試練のような土砂降りこそが今回のLELの物語の幕開けだったのかもしれない・・・
4時半には起床。もう雨は上がっていて少しホッとした。
いつも通りの食事。パン、ヨーグルト、グラノーラ、オレンジジュースそしてコーヒー。
1,400?だからと言っていつも以上に食べるわけじゃない。いつも通り。それはまるでルーティンの作業。奇をてらったことをしても、結局奇を超えることはない。見た目以上に保守的ともいわれるが、見た目は一体どんだけ奇をてらっている人だと思われているのか(笑)

6時半には会場到着。事前に受付をしているからきっとスタートする以外は何もないだろう、と。
最初に出場したPBPのときはスタートに来た早いもの順でスタートとのことで、スタート受付地点は第1ウェーブでスタートしたい参加者で右往左往していた。しかし2回目は事前にインターネットで希望スタートウェーブを選択できたので、極端な話スタート1時間前でも間に合う状態。今回もそれに近いと判断(主催者から他のインフォメーションはなかったので)
バイクを組み立てて準備をしていく。5時半から15分おきにスタートしており、最初から順にA,B,C・・・と続き私はHウェーブ。最初の方はきっと小雨か路面のウェット度合いが私より激しかったことだろう。そう考えるとスタートがA組もしくは前じゃなかったことも良かったのかな、と。

各ウェーブ20〜30人程ごと、PBPと比べるとそのローカル感が激しすぎ、ちょっと頭がくらくらとめまいすらするぐらいの違い。この辺りは同じブルべでありながら、レースが発祥のPBPに対してあくまでもツーリングが発祥のLELの違いなのではないかと推測する。


とは言いつつも私のエントリーした100時間カテゴリーは116時間カテゴリーに比べれると、「ファーストラン」が基本であるように思える。
一緒にスタートするメンバーはかなり軽装で、遠くに速やかに遠くへ移動するためには「パックライト・トラベルファー」が基本。ドロップバッグや事前登録でチェックポイントでのサポートも認められているので有効に使わない手はない。

いよいよ7時半。スタートだ。なんて地味なスタート。まぁそれはそれでLELらしくていいのかもしれない。最初の交差点、右折時に直進の車を確認。PBPだったらこの辺りはオートバイの先導で最低でも街を抜けるまではフリーだった。

適度な勾配の丘が続く。思っているよりもずっと難しそうだ。39Tのインナーでスプロケットで調整しながらグループの後ろで様子を見る。
郊外に出てようやくグループも15人ほどでペースが安定してくる。で・・・
もしかしたらここが1,441kmに渡る壮大な旅の、16km地点が最大のドラマだったのかもしれない。
今まで8年間ブルべをしてきて、初めてまともなパンク。
今まではチューブラータイヤで摩耗しきっていて張替えるのに「パンクしてくれたほうが都合がいいや」と使って本当にパンクしたとか、SR600で標高1500mで嵐になり無理やり下ったらスローパンクしたとか・・・仕方ない、いつかはそんな日も来るだろ、と立ち止まってチューブ交換使用して一瞬自分の目を疑った。
今回手組みホイールで来る段取りをしていて急きょ完組ホイールに代えたので、サドルバッグの中のチューブをバルブ長が短いものに変更したままだったことを忘れていた。さて、どうしましょ・・・あるもの、ある知恵で乗り切らなければならない。
しかしどうやっても空気が入っていってくれない。近くの民家に駆け込み空気入れがないか尋ねてみる。これで事なきを得て一件落着水戸黄門よろしくというシナリオのはずだったが、やっぱり印籠も持たないブルべカードではそうは簡単に進まないようだ。
持ってきたのはサッカーボールの空気入れ。その先っちょの針をどないしろというのだ。
仕方なく2気圧ほどの空気圧で先に進む。
1kmほど下ったところは晴れ間の注ぐ温かい家の壁。閃いた!急ブレーキでストップ。
と言っても別に壁で何かとかじゃない。単純に陽に当たったら気持ちよく何かアイデアとか出るんじゃないか?というだけだが・・・
ここで再度空気入れ。
ミニポンプの場合、絶対的に圧力をかけにくい。しかし自転車を壁に当てるなどするだけでも圧力が増す。空気を入れるたびに隙間から漏れていた空気を指で固定して漏れないようにして、あとは壁を利用しつつ1秒でも早く気合いで入れる。漏れるより速いスピードで入れる。もうそれはファーストフードの厨房並みの1秒との戦いだ。
これだけ焦っても急いでも気合いを入れても汗は出ないが冷や汗が出る。下手するとここでリタイヤだ。それは避けたい。まずはあと85?ほど先のPCに行けば矢野くんがいる。そこで空気入れを使えばいい。そこまで行ければいいのだ。
生命力を50年分ぐらい注ぎ込んでなんとか走れるぐらいの空気圧に。
既に2つほどのグループがパスしている。長丁場を考えると後ろを待つか、もしくは単独でも前に進むか・・・
結局前を単独で追いかける。
エネルギーすべてを注がないように注意。あくまでも独走が楽にできるスピード。常に虎視眈々と、したたかに。独走ではなくポイズンライド毒走で。
追い風だし基本的な体力の消耗は少ない。大事なのは「700Km先」までは体力温存でそこからスロットルオープンなのだから。
30分ほどのロスタイムがあったがアベレージ25km/hほどでPC1のセントアイヴスへ到着。ここでは食事を摂らず補給食だけで前を急ぐ。オフィシャルでの滞在時間は1分。実際はトイレに行って空気を入れてしていたので約10分ほどか。空気もちゃんと入ったことで走りも軽くなった。

自分と一緒だったH組や、前のスタートで淡々とマイペースの選手たちをパス。H組の何人かはPCで食事をしている。何人かの選手はついては来るが先頭交代していこうという気配ではないがあまり気にしないようにする。そもそもこちらも先頭交代を要求しないといけないスピードでは走っていない。単独で十分余裕なスピードが基本だ。なるべくハンドルの下を持つ。上ハンドルと下ハンドルでは約4%ほどスピードが違うそうだ。そうだとすればタイムが4%短縮したと考えると50時間走行した時点でハンドルの下を持つだけで2時間速く走れる計算だ。なんだかすごいじゃないか!下を持たない手はない。

PC2もほぼタッチ&ゴー。そしてPC3ラウスで食事休憩。実はLELのPCは食事が充実しているし、エントリーフィーに食事代は含まれている。これは非常に有難いことだ。PBPもPCにセルフサービスのレストランは併設されていたが有料だ。安全に気兼ねなくを考えるとLELのシステムの方が素晴らしい。ここまで単独。そして周りでもゴール時間にこだわってタイムカットしていこうという選手がいないこと考えると、どうやらみんなと同じように座って食事をした方がよさそうだ。長丁場、食事は重要だ。


200Km進んだ時にふと思った。
「今ようやくPBPのスタート地点か・・・」
ちょっと悲しい気持ちがこみあげてきた。タイムも集団で矢のように突き抜けていったPBPと違い、単独で遥か彼方へと進んでいる。
まずは頭の中を整理して、メンタルから崩れていかないようにしなければ。そう思いながらもあまりにも遠すぎて、想像が追い付かないのは事実だ。

吊り橋の長さとして完成当時世界一でもあったハンバー橋で写真を撮影していると、後方からH組でペースを作っていたメンバーが合流。先のPCで食事をさっさと済ませて出たので逆転していたようだ。
軽装の女性がいるなぁ〜と思っていたが、登りだと男性よりも速い。一緒に走っているグループは10人ほどいたが、彼女の牽きで2人ほど脱落した。
そしてしばらくすると単独でレースでもしているかのようなペースで抜かれ、みんな食らいつく。そして3人になり・・・まだ残り1,000?はあるというのに・・・
サースクに到着。ここから「まだ」1,000Kmある。はっきり言うと、うんざりだ。

PC4ポックリントン。ナイトランに向けてウェアの装備を入れ替える。
ビブショーツは何度か雨を浴びたがそれほど湿気を含んでおらず、シャモアクリームを足してやって折り返すあたりまではそのまま行くことにする。
スタートからブルべライトウェイトジャージとメリノメッシュインナーで走ってきたが、ここでブルべジャージとメリノウールインナーにチェンジ。想定気温はここまでは20℃弱と言ったところだったが、ここからは13℃以下。雨だと10℃以下だろう。念のため長指グローブも持参する。


序盤は何人かのパックで走行。



この時期のイギリス、というかロンドンは過ごしやすい。日中だとラファ・ブルべライトウェイトジャージにめりのメッシュインナーでちょうどいい。



一緒に走っていたオランダ人が言った
「PBPはプロのレースに例えるならプロコンチのレース、しかしLELはツールドフランス。その難しさは桁が違う」
この時は深く考えなかったが、エディンバラに近づくにつれその言葉は言霊となって常に付きまとった。



ハンバー橋を渡る


PCでの食事。だいたいこんな感じ。
前半はご飯もの、後半はパスタを摂取することが多く、終盤はコーンフレーク。
身体の疲労が食欲につながり、身体は如何に正直かという人体実験のようだった。



いよいよナイトランへ