ロード・トゥ・ヴェテラン

Oude Kwaremont

昨日のブログに掲載したトップの写真への問い合わせがいくつかあったんだけど、あれ実は渋谷アップリンク内で打ち合わせに使わせていただいた部屋のテーブルなんですよ。
すごくいい感じで、いっぱい写真撮っちゃいました。
ほとんど自分目線、そして自分の色に変えちゃっているから「なんじゃらほい」って感じだったのかもしれません。
まぁこのブログ自体も万人ウケを意識していないので、訪れてくれている多くの人には難解かもしれませんが・・・例えるなら自分でボケて自分でつっこんで、そして自分でウケるみたいな感じでしょうか・・・

このテーブルの傷み方がすごく自分のツボにはまったみたい。
どんなものでも必ず傷んで、そして形あるものは必ず壊れる。
これは宿命だから仕方がない。
そして人間とて同じ。
歳を重ねて傷んで古くなっていくことが悪いんじゃない。
今の自分も相当ボロになってきているけど、嫌いじゃない。きっとこんなもの。
使い古して傷んでも、いつまでも自分のリコメンドグッズなものと同じく、他人には使いこなせなくても自分なら必ず動いてくれる、そんなところって必ずあるはず。
今までの選手生活で命を落としかけた落車・・・あとから考えてみれば奇跡の生還も・・・
そんなことを乗り越えて多少はパフォーマンスも落ちていく、膝も骨が見えるほどに開いて・・・
それ以降まっすぐに脚が踏みおろせなかった。
でもそれはそれ。
きっとそんな「小さな」ことは問題じゃない。少なくとも引退するまで、それは問題じゃなかった


別に仲が良いと言うわけじゃないが、アミカチップスの2人が登録でトラブルがあったようだね。
これは本当に期待されている2人だから悲しいことだ。
彼ら2人に責任はなく、何かチームやスポンサーの政治的なことに巻き込まれたのだろう。
だけど俺や遠く日本から応援している人たちも含めて、何も出来ない。ただ頑張って、としか言いようがない。


俺もマエストロに入る前、プロ1年目はどこのチームにも所属せず活動していた。
それは活動予定だったチームがUCIに登録をしないと言うことになり、個人的にはそのメインスポンサーがスポンサードをしてくれるということに落ち着いたが、当時ちょっと血の気の多かった俺はまったく独自で活動することを選んだ。今考えても何を考えていたのか不明だが・・・
でも1年後にマエストロに加入したし結果的にはよかったけれど、1年間は常に落ち着かなかったね。
プロになりたくてなれたのに、チームがない・・・おかげで一回りは大きくなれたかな(多分)
そして97年のトニステイナー1年目にも実は空白の2ヶ月がある。
登録の諸事情の問題で登録が遅れて・・・
そのとき最悪の事態になったときのために、ウクライナ籍のチームにも話を進めていて監督とも頻繁に会っていた。
3月の時点でそのウクライナの監督と会っていたけど、車にビール積んで飲みながらサポートカーを運転していてビックリ。
もしあのチームだったらヤバかったなぁ〜
そして意外なんだけど2002年。
最後のシーズンに入るときにも契約上の問題で、現在BMCで走っているジェフ・ラウダーとともに登録が遅れてしまった。
2人で一緒にスペインで走りこんでいて、天気もよくて本当に相当走りこめて気持ちはレースモードだったのに、レースにはいつ出られるのかわからなかった。
お互いその話題には触れず、モヤモヤとしたものが心の奥底になりながら、ずっと地中海を走りこんでいた。
結果的にはスペイン滞在中には問題が解決し、帰りの飛行機は気持ちよく乗れたけどね。
だから2002年は2月上旬のレースは走っていない。
いきなりヘットフォルクだったんだけど監督に直訴して外してもらい、クールネ〜ブリュッセル〜クールネからシーズンイン。さすがに初レースがへっトフォルクはヤバすぎ!
だから辞めるまでに3回も・・・いや2003年がなかったのも契約上の問題だし4回か・・・


今みたいにインターネットで情報は流れ出なかったし(そしたら俺なんかみたいに小心者は、きっとプレッシャーで失踪していたね)フランドルに出たときでも、俺のサイトのアクセスは一日100ぐらいだったしね。
どこに住んでいてもネットを通じての目から逃れられないのは辛い。
選手だって普通の人間、プライベートが欲しい。特に強く選手やスターはそうだろう。
周りのものがどんなに便利になりスマートなツールに変化しても、扱う肝心の自分は何も変化していないのだから。
自転車競技は人間臭い、泥臭い部分が一番魅力なんだと思う。
彼ら2人には辛いのは理解できるけど、今はもう自分で何もしようがないだろうし、ここはじっと人間力を高めるしかないよね。
そのときに初めて自分の魅力も増すんじゃないかな。
それこそそうやって歳を重ねて「武器」が増えていくんだろうと・・・

長くなりましたが、歳を取って弱くなっていく自分への強がり・言い訳でした。