2015 PBPご報告

masahikomifune22015-08-20

フランスに入ってからはまったくブログを更新する気力も集中力もなく、すべてをPBPに集中してきました。
既にフェイスブックやラファジャパンのフェイスブックツイッターでのライブでもアップロードされている通り、43時間23分でフィニッシュしました。
先頭グループは15人で、その前に単独1人。16人が今回のPBPを古典的な「レース」として戦い切りました。
ブルベはレースではありません。先頭グループも基本は先導車もなく赤信号ではストップ、幹線道路を渡る道路では全員減速し確認。集団の後ろには常に一般車両を前へ誘導する関係車両やオートバイはいたものの、日中の交通量の多いところなどでロータリーなどで優遇されただけでした。決してロードレースではありません。
しかし、配布される資料の節々に見え隠れするレースの文字。
チェックポイント(資料ではエタップ=ステージとしての節目という位置づけのようでした)でのサポート以外は一切サポートされることもなく、ただその間は延々とレースのような争い、そしてレースのようなドラマが集団の中を覆っていました。
だけどツーリストとして、ランドヌールとしての制限時間内に走りきるというブルベのスタイルに対しても同じようにリスペクトがあり、オレ自身同じように日本から参加している他のランドヌール達に敬意を表してリスペクトしているつもりです。
ラソン大会と同じように、先頭を争うものもいれば、仮想で楽しむもの、家族で完走を楽しむもの、人それぞれのスタイルが入り混じりますが、その中で私の走ったのは一番古典的で最初から続くPBPのレースの歴史を受け継ぐスタイルだったというだけの話です。
最終のチェックラインを越えたのは7番目で、スタンプを押したのは2番目。
15分後ろのフランス人中心のグループに吸収されているので、全体のタイムで言うと多分10番前後だと思います。
着順は基本付けないので意味はないはずなのですが・・・(笑)


前回出場したときも粘れるところまで粘って、結果的に人生で一度も経験したことのないような激しいハンガーノックで、その後はゴールまでただひたすら壊れた体で力が入らずにゴールし、復路は30時間もかかったという事実でした。
淡々と走るだけなら、ノーサポートでも48時間は行けると思います。
だからこそ今回は46時間以内、そして目指すは先頭グループでのゴールでした・・・


獲得標高10,000m越えと厳しいコースですが、正直個人的には嫌いじゃないコースです。選手だった頃は登れない選手でしたが、ブルベをやっていると如何に長くZONE 2を続けられるのか(10時間以上とかw)それは今回も感じましたが、世界レベルでも上位だと思います。

今回サポートを手伝ってくれたラファジャパンの矢野社長、そしてアメリカからは撮影クルーとしてブライアン。
彼らのサポートはとても即席で何もわからないと思えないほどに後半はシステマチックに作動し、折り返す頃には他の「プロなサポートチーム」連中と同等もしくはそれ以上の体制に達していたと思います。
メーカーサポートの入っているライダーもいたり、地元クラブ=大所帯なサポート体制に対しても全く引けを取らないものでした。
何よりも後半自分でも驚くほどに自分を維持できなくなってきているときの矢野社長からの叱咤激励、彼から伝えられる日本からの多くのメッセージ、そしてすれ違う日本人たちからの応援・・・
何度も辛くて涙し、そして何度も嬉しくて涙し・・・すごく勇気が湧いて走りきることができました。

本当にすべての人に感謝です。どうもありがとう。
今はまだパリの空港でこのレポートを書いています。
今回いくつかの媒体からレポート依頼をいただいたり、ラファでも今回の報告会を是非やりましょうと言っていただいていますし、23日の日曜日には大阪のGrupettoさんでも報告会を行います。
ブログの方ではちょっと記憶をたどりつつ、早いうちにレポートをアップしていきたいと考えていますが、なにぶん今回は頭がすごく疲れています。
体は意外と言うか、あまり疲れていないようでゴール翌日も75kmほどサイクリングしてきました。


夢のような43時間23分
すべてのことにありがとう