あすから仙台へ

明日から仙台へ行ってきます。
恒例となったJPスポーツグループさんの「三船雅彦走行会」
今回は仙台の「ベルエキップ」さんと「ザ・プロトン」さんへ行ってきます。

震災後ずっと気にはなっていて、なかなか仙台へ行けなかったけれどようやく行くことが出来ます。

ベルエキップの遠藤さんとはベルギーで活動していた時からの付き合いで、確か96年のフランスのステージレースだったと思うけれど、その時にスイスのチームのメカニックで同行されていて喋ったのがきっかけ。
お互い現地のチームに日本人一人だったし、いろいろと思うことは共通点があったのかな、話は妙に合う仲でレースで会うのが楽しみだったね。

震災の時、真っ先に遠藤君が心配で連絡取れなかったことで頭の中が真っ白に。
そして連絡が取れたときは本当にホッとしたのを覚えている。


仙台は89年の全日本選手権ロードで訪れたのが最初。
この時は6位に入賞。
まだ20才の時で、この時の全日本選手権にはなぜかオーストラリアの選手が出場していて、全日本チャンピオンの4位がオーストラリア人(*_*)
チャンピオンジャージをオーストラリアに持って帰られました。
(なんじゃそりゃ)

ラスト周回で日本ロード界の第一人者、森幸春さんと二人で抜け出して「こ、これは勝つかも!!」と興奮。
しかしそのあとラスト10kmを切ってから8人が合流。
オーストラリア人が2人、現マトリックス監督の安原さん、当時国内最強ロードレーサーの一人鈴木光広さん、国内最速スプリンターの大野直志さんなどなど。
突然10人の逃げで一番「お子ちゃま」に。
最後の坂でのアタック合戦で千切られルも、ラスト800mを切って気合いで再び合流。
そして10人でのスプリントでは6位。
当時の日記や写真には
「ラスト7km、ここしかないと思ってアタック」
「とてもスプリントする脚がなかったし、10位以内だからと言う気もあった」
「5位以内だったら世界選手権代表だったかも、と思うと悔しい」
などと書いていた。


仙台へ行くのはあれから25年。
またいい思い出ができるといいな