2015BRM中部400


BRM509中部400、この時期にチャオ御嶽スキー場(約1,900m)まで登る、山岳ブルベだ。

ここ数回のブルベではローギヤを25Tで走ってきたが、今回は29T。
重くても体幹をきっちりと意識していればそれほど重いことへのハンディは感じないが(あくまでもレースではなく、淡々とゆっくりと走るということでは)それでも400?もの間、標高1,900m近くまで約2時間登り続ける。
ある程度余力も考慮すると29Tの方が最終的に速く走ることができる。


スタートから各務ヶ原、関、富加と少し交通量の多い地域を走るが、その後は放生峠、金山ダムと続き上呂と信号も少なく、すごく走っていても気持ちいいルートが設定されている。
ここ最近の中部ブルベは、コースプロフィールこそたまに殺意すら感じるほどのプロフィールだが(一応褒め言葉のつもりw)、信号も少なくキューシートの行数も少なく、実は意外と走りに集中して景色を見る余裕すら感じられる楽しいコースが多い。

序盤から数人のパック。思ったよりも高速巡航でビックリだが、ついていてオーバーヒートしそうなペースではないので合わせて走る。
天気予報では雨?だったのだが、雨こそ降らなかったものの湿度が高く、放生峠の登りでは思いのほか汗でウェアがびっしょりとなる。
放生峠を下って2人、岩屋ダムを登りきって1人になる。
みんな速いと思っていたがオーバーペースだったのだろうか。

  • 11時42分、PC1到着

なんとか正午までにと思ってのペースで走っていたので少し貯金できた。
ここからは延々と登るので、貯金は一気に借金に変わるだろう。
PC2の濁河温泉は友人チェックで、水や簡単は補給食は用意しておくよとのことだったが、約40kmで1,200mほど登っていく。
だいたい自分の能力だと余力を持って走れるのは1時間で約600〜700mを登ること。
と考えると途中で下ることを考えれば2時間以上は登っていく。

登りの勾配など情報は一切わからない。
心拍を130ぐらいでコントロールして登っていく。
上がっても140以下。
淡々とペダルを回していく。
右手には雪をかぶった御嶽山がそびえたつ。
その雄大な景色を見ながらペダルを回していくが、とても昨年多くの犠牲者が出るような激しく噴火をした大和は思えない。
そう考えると今また突然そんなことが起こらないと言えないし、こうやって自分でコントロールしてブルベを走っていても、所詮自然の中では何もコントロールできないんじゃないだろうか、と考える。

徐々に気温も下がりだし、御嶽山の北西を見ながら走っていたのがいつの間にか北斜面に到達している。
濁河温泉の看板も残り20kmから距離がどんどん減り、いつの間にか2kmを切っていた。


-14時14分 PC2到着
スタッフの方に迎えられ、ブルベカードチェックそしてコーラを一口とバナナをもらいスタート。
出来る限り明るいうちに行けるところまで走りたい。
もう下れるのかと準備をしたものの、濁河温泉からチャオ御嶽山スキー場まではまだ200m以上登らなければいけない。
ここまで走っているとすぐそこだと思うのだが、冷静に標高差200mと言うとちょっとした峠だ。

チャオ御嶽スキー場では例年よりも雪不足の影響で、営業予定日を約3週間早めるほど。
それでもまだスキーを楽しむ人がいるスキーを横目に、今まで苦しんで登ってきたこの登りを、豪快なダウンヒルというご褒美を楽しむ。
暗くなってからは絶対下りたくないような豪快なダウンヒルで一気に標高差約800mを下る。
そして開田高原を経て再びダウンヒルが続き。木曽大橋で国道19号へ。
ここからR361までは別名「木曽高速」とも呼ばれるほど悪名高い国道19号、深夜には絶対走りたくない国道だ。


権兵衛トンネルは高速並みの企画で作られた道路
過去には権兵衛峠が一般に利用されていたが、この権兵衛トンネルができたことで木曽と伊那を高速道路でつなげたような感じだ。
実際通行する車のスピードも平均して速い。

木曽まで一気に下りきった一部を、再び登っていく。
ダウンヒル区間はこちらも豪快に。あっという間に伊那のPC3に到着した。

  • 17時08分 PC3

スタッフが待機していて少し世間話。
ここまでまともに補給はしていない。焼き鳥やアメリカンドッグを購入。そしてスタッフに缶コーヒーを差し入れ。
約12分ほど停止し走りだす。
ここから飯田までは知っている道だが、だからと言って楽なルートではない。
伊那からだと下りだが、よりによって向かい風。
目標としては飯田までは明るい時間に到着したい。
向かい風でもペースを落とさないようにして飯田のチェックポイントにはライトは必要だが真っ暗じゃない時間のうちに到着できた。


-19時04分 PC4
ここからは寒原峠〜治部坂峠を経て、平谷の道の駅から上矢作そして岩村へと走るルート。
コンビニは皆無。
しっかりと補給しておきたい。
ここではパスタを食べて汗で失ったビタミンをフルーツジュースで補給する。
約17分停止しナイトラン開始だ。



寒原峠はゆっくりながらもアウター(53T)で走る。ローギヤが29T、登りも23T、26Tの3枚で走る。
下っていても相当長い峠で、登りたくないと思う峠だが、実際に登ってみるとそこまで長さは感じない。
心拍は110前後をキープ
疲労で前半の120相当だろうか。
このあたり、心拍数の表示と体力の低下を分析する能力がないと、痛い目に逢う。
このあたりは伊達に長く自転車競技をしていないし心拍計コーチングでの経験も役に立つ。
寒原峠は約8km。600mほどを登る。


寒原峠を越えて治部坂へはいったん下るものの西へ向いてのルートは大きな峠ではない。
しかし寒原で精神的には使い切ったのか、もうペースを維持できるような集中力がない。
インナーで軽いギヤにしてペダルを淡々と回す。
そして頂上に到着、ここからしばらくは真っ暗闇のダウンヒル。一番怖いのは獣との接触事故だ。
今回鹿や猪、熊は見かけなかったが、猫に狐そして狸と遭遇。
下りではベルを鳴らしたり声を出して接触事故対策を施す。

平谷の交差点では缶コーヒーを飲む。
まだまだ下るから体温もどんどん下がる。
せめて缶コーヒーで暖まらないと。


上矢作まで下ると体が冷え切っているのか足は回らない。
道の駅でトイレに行き、寒さ対策に着ていたレインジャケットを脱ぐ。
治部坂の頂上では8℃、ここまで来ると12℃。耐えられる範囲だ。

  • 22時39分 PC5

徐々にだがペースが落ちている。
当初の目標18時間切りは結構楽勝だなと思っていたのだが、ここで冷静に計算すると実はまったく貯金はない。
しかし冷え切った体と睡魔が徐々に体を覆ってきてる。
ホットコーヒーとガムを購入して睡魔に備える。
休憩もほどほど、熱いコーヒーを飲み干してスタート。


明智から瀬戸までのR363は、実に辛くなるようなアップダウンがこれでもかと続けてやってくる。
何度走っても苦手だ。
しかしここをクリアーしないとゴールは見えない。
ギヤをかけていける余力はないからインナー×ローでも足を止めないようにして走る。
そして瀬戸の町へのダウンヒル、真っ暗闇の中で下るにはかなり怖く楽しさの欠片もない。


  • 5月10日0時12分 PC6

最後のチェックポイントに到着
補給はぎりぎりゴールまで持ちそうか。
ウイダーゼリー(それもエネルギーではなくビタミンで)と暖かいレモンティーですぐに走りだす。
常光寺への登りが果てしなく感じられる。
春日井の押沢台そして石尾台の登りも濁河に比べれば「平坦」レベルなのに、今は果てしない峠にすら感じる。
尾張パークウェイの登りではどう考えても18時間は切れない、あきらめよう・・・いや、ギリギリ行けるんじゃないか?踏んでみよう。あっ、信号だ。終わった・・・次の信号は・・・ギリギリ行けた!!
何度何度も諦めては頑張り、頑張っては諦めて・・・
犬山で時計を確認するとどうも2分前に着きそうだ。
木曽川沿いの信号にも味方され、楽勝!と思いきや最後の草井交差点で信号丸々止まった・・・
青信号とともにゴール地点まで全力。

ゴールは・・・
17時間59分。多分18時間に1分もない滑り込みでの到着だ。


600kmを走ったときのような体力の消耗はなかったものの、それでも獲得標高6,000m以上を400kmで走る、それも酸素の薄い地域を通過するタフなブルベだったから体が思った以上に消耗していると感じる。


スタートして愛知県江南市から岐阜県各務ヶ原市へ
県をまたいでいくのは、これだけいっぱい自転車に乗ってあちこち行っているけれど、いまでに楽しい




少し雨が降りそうな天気予報だったが、結局は降られず
しかし少し湿度が高めで不快
数人のパックでいいペースで進むんだのも、体中が汗でしっとりと来た理由か
いいペースで放生峠を目指す




知らない地域を走っていると、見慣れない地名を発見できるのも楽しい
轡野(くつわの)



金山湖をさらに上流に行くと西村ダムがあり、ここの湖面はいつも緑色だ




上呂から濁河を目指す
はるか彼方に今から向かう御嶽山が雪をかぶってそびえている





御嶽山




濁河温泉を過ぎてチャオ御嶽スキー場付近は、まだ雪が残っている
これでも例年よりも雪が少ないそうだ



一度は行ってみたかった権兵衛トンネル
ホントは権兵衛峠に行きたいんだけどねw
それは今度時間があるときのお楽しみということで




走り慣れた治部坂峠を初めて飯田側から登る
寒原峠はそれなりに長かったが、濁河の登りで体がマヒしているのかそれほど長くは感じなかった
気温8℃
日の変わらない時間で8℃だと、一番寒い時間に走った人はいったい何℃だったのだろうか